NIWAKAな綴り士

危険なモノ 奇妙なモノ そういったことに共感し思いついたことを綴ります

ようこそ、新入部員! -11-

 数分後、私はトイレから出てきた。

 引き絞られた恐怖がねじ切れて怒りに化ける数分だった。

 

 あいつの胸ぐらを締め上げなければ。どこで私の名前を――。

 

 考えながら持ったままになっていた文庫をポケットに押し込んだ。

 もう片方の手にはあの紙切れ。

 印字された無味乾燥な字体が、壁一枚隔てた向こう側で私を笑っている誰かさんを想像させて来る。

 

「こんなもん!」

 一人毒突いてから、それを握り潰して廊下の隅に放った。

 

 同級生の中でも『小我さん』で通ってる私だ。

 それをフルネームで呼び捨てにするなんて。
 パーソナリティーの侵害もはなはだしい! さて、どうしてくれよう!

 

 屋上か……図書室前の階段のさらに上だったはず。

 

 ツカツカと廊下に足音を響かせながら、私は知らず肩を怒らせていた。

 四階に着く。後は『立ち入り禁止』の封鎖をよけて階段を上がればいいだけだったのだが。

 

 ふと、ひとつの懸念が浮かんだ。

 ――あいつは本当に待っているのか?

   ひょっとしたらからかわれているだけかもしれない。

 

 いやいやいや、ちょっと待てよ。

 もう少し掘り下げて考えてみよう。

 

 そもそも、あいつが話しかけてきた理由はどうあれ、

 のぞき行為までして話しかけてきたって事は、

 なんにしても私に用があるのかも――ただの趣味かも知れないが……。

 

 それに一応招待状らしき物も受け取ってはいる。

 さっき捨てたけど……。

 まあいい、屋上にいなくても、どの道見つけ出す事は変わりない。

 

 宵越しの銭は持たないに然り。

 不満や不安を明日に持ち越すなんてご免だ。

 今日中に方を付ける。その初手がこの上にあるんだ。

 

 決然と足に力を込めて、私は屋上に続く階段を上った。

 誰も掃除してないのか、踏み段の端々に埃が積もっている。

 

 そろそろと踊り場に辿り着いた私は折り返しの壁から顔だけ出した。

 

「ぃようっ」

 

 あっさり見つかったそいつは、軽快に片手を振ってきた。

 

続き

ようこそ、新入部員! -12- - NIWAKAな綴り士

ACT Ⅲ   天竺鼠:ギニーピッグ ―23―

「なんで捻挫したなんて嘘つくんだよ」


「外から帰ってきて「噛まれた」なんて言ったら、

 兄貴はシカバネに噛まれたって思うんじゃないの?

 余計な心配はかけれないよ」

 

「この子の話を聞いてたらそうは思わねぇよ」
 希一はライトを向けたが。少女の頭部を照らすのは意識的に避けた。

 

「でもどのみち気分の良い話じゃないし――」
 すると荘輔は少女の死体に近づいた。

 

 何やってんだ?

 

 希一が首を傾げていると、

 ちょうど希一が気にしている頭部を覗いてしゃがみ込む。

 

「お、おい、何やってんだよ?」
 どうにも人の道から外れていることをしているように見えた

 希一は弟に投げ掛けた。

 

 だが、返事はかえってこない。

 何事か思考している様子で、

 今し方自分で割った少女の頭部をつぶさに観察している。

 

 恐る恐る近寄って行くと荘輔はぶつぶつと独り言をしていた。

「変色がひどいな。酸化しすぎてる。

 やっぱり変化してから時間が経ちすぎてるなぁ。

 これじゃあ資料にならない」

 

 他にも何事が言っているが、希一に聞き取れたのはこのくらいだった。

 

 こいつ、こんな子供まで勉強道具にするつもりか!
「おい! やめろよ!」

 

 希一の止める声が聞こえないのか無視しているのか

 荘輔はリュックからノートを取り出すと、

 几帳面にも関連項目らしき事柄が書かれたページを開いてボールペンを走らせる。

 

 〝細胞の変色度合いからはもう何も分からない。

 少女が噛まれたのが二週間前、感染→潜伏→発症までの期間を調べたかったが

 次の機会に持ち越し〟

 

 そんなことを書き付けて荘輔はノートをしまった。

 

「お前なぁ――」
 希一は荘輔の心に語りかけるように言った。

「いくら生き残るために必要だからって、

 ここまでしなくてもいいじゃないのか?

 この子は子供で、しかも女の子だ。

 他の人達だってなりたくて連中と同じになったんじゃない。

 お前だって死んだ後の体を他人の好き勝手にいじられたらいやだろう」

 

「死んだ後の事なんか考える余裕なんてないよ」

 荘輔は静かに言い返してきた。
「僕は死にたくないんだ。

 生きるためなら身の回りの物全部を先生と思おうって決めたんだ。

 全てを観察対象にして、

 シカバネ達は実験用のモルモット(天竺鼠)にしようって決めたんだ。それに――」

 荘輔の真っ直ぐ希一と向かい合った。

「兄貴に死んで欲しくない」

 

 希一は何も言い返せなかった。

 ずっと感じていた忸怩たる思いを明確に表現されたのだ。

 自分は弟に守られているのだ。

 それが分かったところでどうにもできないだろう。

 自分が荘輔のようになれるイメージが全く湧かないのだから。

 

「兄貴、ちょっと手伝ってくれ」
 庭の用具入れから出したスコップを手渡された。
「せめて、先生達を埋葬してあげたいんだ」

 

 希一は黙って荘輔の言う通りにした。

 

 墓穴を掘りながら荘輔が言う。
「今のところ僕たちは問題ない。十分この世界に立ち向かえてるよ」

 

「そうだな」

 

 そうさ、問題なんかない。

 希一はそう思った。

 

 俺の弟にはちゃんと人の死を悼む気持ちが残っている。

 それで十分だ。

 

 英霊となった親子二人のために墓を作ることが出来る。

 この行動がこそがその証拠だ。

 希一は自分にそう言い聞かせた。

 

 次章に続く。

幸せな家族 -09-

 菜那は去年眼鏡学校から新卒で入社した。

 二つ年上の後輩というややこしい間柄ではあるが、

 一年先輩であるということで菜那は翔子に敬語を使っている。

 最初はこのおかしな上下関係に戸惑ったものだが、

 菜那の日和見判断で所々いい加減に取り成す性格を知ってからは

 名実共に後輩として扱い、こちらからはタメ口で話していたのだった。

 

「いいじゃないですか。甘々なメール見せて下さいよ~」

 菜那は実年齢と仲が良いのか悪いのか、

 31にもなって身体をクネンクネンさせる―――背骨の柔らかいことで。

 

 携帯電話を置いた翔子は、

 パックを開けてタマゴサンドをひとくちかじった――。

 

 携帯が鳴りだした。設定していたメロディがメールだよと言っている。

 取り上げると洋介からの返信メールだった。

 

 今送ったばかりなのに。

 

 洋介は夜勤明けのはずだ。まだ寝ていると思っていたから、

 夕方までに返事があればいいと翔子は思っていた。

 

 ひょっとして起こしちゃったのかも。

 

「今度は携帯とにらめっこですか?」
 カレーパンで唇をてからせた菜那が、画面と翔子の顔を見比べている。

 

 メールを開いた翔子は口元を綻ばせた。

 

「あっ、携帯が勝った」
 菜那が勝手なことを言っているのを横目に、内容を読みかえす。

 

 

[ 件名 Re:何が食べたい?

  本文 愛が大きいジャガイモのやつを所望しています ]

 

 

 なるほど、愛(まな)が新しい絵でも描いたんだな。

 あの子は気に入った絵が描き上がると

 すぐ見てもらわなければ気が済まない性格だから。

 

 翔子はレスポンスの早さの理由が分かってほっとした。

 仕事から帰ってきた洋介はいつも死にそうな顔になっているのである。

 なるべく睡眠の邪魔はしないようにしてはいるが、

 愛を思うとたまにこうやって

 その場の勢いからメールしてしまうのだった。

 

 それだけ洋介には気の置けないのだけど、もう少し気をつけよう……。

 

 帰りに食材の買い物をしておくと返して、翔子は昼食に戻った。

 

 続き

 ↓

幸せな家族 -10- - NIWAKAな綴り士

六年生七不思議 -05-

 博太は廊下の突当りにある給食運搬用のエレベーターへ歩き出した。

 その後ろを結愛はうつむいたまま、とぼとぼついて行った。

 

 六年生になって二ヶ月余り、ずっとこの調子だった。

 真理がああなのはいつものことだが。

 クラスのみんなにすらこう頻繁に冷やかされるのはやっぱり辛い。

 

 きっと一樹君が格好良いからだ。

 

 結愛はそう思った。

 格好良いだけじゃない。博太はサッカーだって得意だ。

 六年に上がる際のクラス替えで結愛と同じクラス緒になった博太は

 あっという間にみんなの人気者になった。

 授業で当てられた問題に答えられなかった事はないし、

 誰とでも分け隔たなく喋る事ができる。

 

 それに比べて自分は相も変わらず本ばかり読んでいた。

 運動音痴(ウンチ)と馬鹿にされだしたのは、

 初めての体育の授業からだ。

 声だっていまだに授業中の静かさにもかき消されてしまう。

 

 クラスの人気者と日陰者。この現実が釣り合うわけなかった。

 

 こんな自分には、一樹君の友達なんて似合わない。

 だからみんな冷やかしてくるんだ。

 

 そんなことは結愛が一番よくわかっていた。

 

 どうして一樹君は、私に話しかけてくれるんだろう?

 そんなことしても、何の特にもならないのに……。 

 

 正直に嬉しいと思う反面、かえって申し訳なさが強調されてしまう日々だ。

 結愛は目を落として、博太のかかとが廊下を交互に前後するのを眺めていた。

 

 なんの前触れもなく、くるりと博太の爪先がこっちを向く。

 

 顔を上げると、博太が思い至った目でこっちを見ていた。

 

「ごめん、ひょっとしておれ、穂坂さんに悪い事してる?」

 

「……え?」

 その声は結愛の口の中だけに響いた。

 

「なんか、いつも難しい顔して黙っちゃうから――迷惑かな?」

 

 そんな事ないよ。

 

 そう言いたかった。でも、言葉にする勇気が湧いてこない。

 学校では、授業などの喋らざるを得ない場合を除いて、

 結愛は会話のすべてを首を振って答えている。

 今回もその習慣から首を横に振った。

 

「ほんとにそう?」

 

 今度は縦に振って答える。

 

「よかった」

 博太がほっとした声を上げた。

 

 博太は肩をすとんと下ろして歩きだした。

 他の教室から出てきた給食係が横を駆け抜けて行く。

 次第に増える生徒達の声と足音が、廊下独特の音響効果で、

 それなりの雑踏になりだした。

 

「ところでさ、いつも休み時間は本読んでるよね。

 昼休みも図書室に行ってるみたいだし、なに読んでるの?」

 

 博太の質問に結愛は焦った。

 これは不意打ちだ。声を出さなければならない。

 しかも廊下の雑踏はさらに大きくなっている。

 

 大きな声を出さなきゃ。

 

「―――ぉぅ………」

 意を決したつもりだったが、自分の耳にも聞こえなかった。

 

「え? なんていったの?」

 博太が訊き返してきた。

 

「星の王――」

 ふざけあっている男の子達が通り過ぎ、結愛の声はかき消された。

 

「ごめん、もう一回言って」

 困った顔をした博太が、手を添えた耳を近づけてくる。

 

 ダメだ、もっと大きな声で言わなきゃ! 

 

 いつの間にか足を止めていたのにも気づかず、

 結愛はすっと息を胸にためた。

 

 

 続きです

六年生七不思議 -06- - NIWAKAな綴り士

ようこそ、新入部員! -10-

 一口乗らないか? って

 

 金髪ののぞき野郎はそう言いながら壁の上で組んだ手に顎を乗せた。

 暗がりに白い歯が栄えている。

 ルイス・キャロルの考えたいやらしい猫みたいだ。

 

「な、なんなの、あんた?」

 

 嬉々とした様子でそいつを口をひらく。
「それじゃあ説明しよう。俺はカイ――」

 

「じゃなくて、ここは女子トイレだよ!」
 自分でも疑問に思うくらい落ち着いた声が出た。

 つもりだった……。

 

「ああ、悪かったよ。泣きそうな顔すんなって」

 

 たしなめられてようやく目頭が熱くなってる事に気がついた。

 同時にこの線眼の顔色を読まれた事にたじろぐ。

 

「場所変えようぜ。まあ、騙されたと思ってここに来てみろよ」


 戯(おど)けながらも気取った仕草で取り出したのは二つ紙切れ。
 金髪の怪しいのぞき野郎は

 人差し指と中指に挟んだそれを差し出してくる。

 

 なんだか汚らわしい物を見せられてるみたいで、

 さらに目を細めていると、

 

「お互い好都合な話だと思うぜ」

 ちょうど目の高さで紙切れが開いた。

 

 思わず目が吸い寄せられる。

 

「ほら」

 

 と、促されたので反射で受け取ってしまった。

 その紙には、

 

『 来たれ難民 我らは幽霊部

 

  入部を希望するなら

 

  4時10分から30分までに屋上の扉前へ 』

 

 と印字されていた。

 

「何これ?」

 

「あらかじめ言っておく。

 この部活は、この学校組織に対してささやかに刃向かう

 如何わしい部活だ。

 俺はここ一度でしか誘わないし、

 待つのも今日この後と明日だけだ。

 時間はそこに書いてあるとおりだ」

 

 唐突に真剣味を帯びた声音を聞かされた。

 はっとして顔を上げる。

 しかし、壁の上にあった組んだ手と白い歯は、

 音も無く消えていた。

 

 ひょっとして私の気のせい?

 

 一瞬思考が停止する。自分の精神状態を疑って不安になった。

 

 コンコンッ!
 強めのノックに個室のドアを叩かれた。

 肩がビクッと硬直する。

 

「こう言ったチャンスは少ないと思うぞ」

 

 擦るような足音を響かせて、

 私の名前を知っている不逞な金髪ののぞき屋の誰かさんは

 トイレを出て行った。

 

 続き

ようこそ、新入部員! -11- - NIWAKAな綴り士

ACT Ⅲ   天竺鼠:ギニーピッグ ―22―

「荘輔!」


「クソォッ!」

 

 荘輔は短い怒号を上げると噛みつかれたままの腕で少女のシカバネを振り払う。

 

 突き飛ばされた勢いで、少女は家の壁へと激しく背中を打ちつけた。
 身を起こした少女は恨めしそうに顔を持ち上げる。

 口から痛々しく血を滴らせていた。

 見れば前歯が歯が数えるほどしか残っていない。

 

 荘輔が噛みつかれた方の袖を払うと、

 ポロポロと小さな塊がこぼれ落ちていた。

 

 少女はよほど深く噛みついたようだった。

 彼女の歯は荘輔の服の繊維にむしり取られていたのだ。

 

 荘輔は苛立ったように払った袖を今度はまくりだした。

 

「荘輔、大丈夫か――っ!」

 捲り出された弟の腕に噛み傷がついていたのを目にして希一は息を飲んだ。

 

 しかし――。

 

「僕が憎いか?」

 

 荘輔は謝るように少女へと投げ掛けた。

 

「君のお父さんを殺したのは僕じゃない。

 先生になってもらったんだ。それも素晴らしい先生に」

 

 少女のシカバネは荘輔を見上げる眼光を鋭くして歩きだす。

 

「学んだ後はちゃんと埋葬するつもりでいたし、

 粗末でもお墓だって作ろう思ってた」

 

 荘輔の言い分を否定するみたく、

 少女は黒く変色した血が滴っている口から低い唸り声を漏れ出させた。

 

「お父さんのことが好きだったのか?」

 

 言いながら荘輔は鉈を構える。

 

「君にとって、親は大切な人だったのか?」

 

 荘輔に迫りながら少女の唸り声が怒りを増させたように強まった。

 

「兄貴には目もくれないな。そんなに僕が憎いか。

 それとも大脳がなくなって一つ以上の事は考えられないか」

 

 残り数歩で少女は荘輔に襲いかかるだろう距離になったとき、

 

「ごめんな」

 

 荘輔は鉈を横薙ぎに振り抜いた。

 

 まるで濡れた布団に棒を叩きつけた音。

 〝ドッ〟と濁った音をたたせて、少女の鼻から上の半分が割れ飛んだ。

 

 目も閉じないままでいる頭の半分が地面に落ちると、

 余韻で歩いていた少女の身体も事切れて崩れ落ちた。

 

「その子が……、お前の言ってた女の子か?」

 

 希一は荘輔が少女に語りかけていた言葉の意味を図りかねていた。

 なによも壮絶な光景に息をするのも憚られる思いでいたのだ。

 ただ、荘輔の腕の噛み傷を見て湧き上がってきた疑問が

 口をついて出てきただけだった。

 

「うん、先生と僕の授業をずっと見てたらしいんだ。

 兄貴に外出してるのを見付かったあの日にこの家から出てきた。

 きっと親が死んでからも酷い目にあわされてるんで

 我慢できなくなったんだろうね」

 

 希一は荘輔の右腕を見た。

 

「その時に噛まれたんだろ?」

 

「うん」

 

 二重の長袖から捲り出された荘輔の右腕には確かに噛み傷があった。

 

 でも、その傷は随分前の物で、すでに治りかけていたのだった。

 

 続き

 ↓

ACT Ⅲ 天竺鼠:ギニーピッグ ―23― - NIWAKAな綴り士

幸せな家族 -08-

 駅構内にあるベーカリーショップ。

 一面をガラス張りにしたショウウィンドウ越しに

 「焼きたて」のポップカードと共に並んだパン達は

 小腹を空かせた人の歩調を崩させていた。

 

 穂坂翔子もお昼をパンに誘われたくちだ。

 注文された商品の発注に手間取らされて、

 仕事の折り返しが1時間もズレてしまった。

 それでも、

 いつも満席で座れないテーブル席に着けたのは少しなぐさめになった。

 会計を済ませたサンドイッチセットをのせたトレーを窓際の席に置いて、

 翔子は紅茶を淹れようとカウンターのポットに足を向けた。

 ティーバッグのダージリンでも香りは食に適ったものだ。

 買い置きが面倒なライフスタイルをしていると、

 これで百円というのも気にするところではない。

 

 席に腰を落ち着けて、

 紙コップから立ちのぼる鎮静作用のある香りに鼻をくすぐられていると、

 隣に快活な声がやって来た。

 

「ご一緒してもよろしいですか?」
 同僚の沢村菜那(さわむら なな)だ。

 

 ダークブラウンに染めたウェーブロングを揺らして

 翔子の隣にトレーが置かれる。

 ――カツサンドにカレーパン、

 ヤキソバパンにコーヒー牛乳という

 学食の美味しいところだけ取ったような献立だ。

 

 服装は翔子と同じ黒のレディーススーツに色を揃えたパンプス。

 仕事上で伊達の丸眼鏡をかけているが、

 けして眼鏡に飾られることのない顔立ちだった。

 

 薄目に化粧をして栄えさせた目鼻が自分の目線の高さで止まり、

 翔子は嫌な予感がした。

 

「あれ? 沢村さんとお昼が一緒になるって事は――」

 

「はい、トモちゃんがいらっしゃってます」

 

「あちゃぁ――」

 かっくりを頭を下げた翔子はそのまま突っ伏したくなった。

 

 高橋友恵(たかはし ともえ)。

 翔子の勤める眼鏡店の常連である。

 しかし、眼鏡を買うわけではなく、

 来店目的はもっぱら店長の別所良夫(べっしょ よしお)とのおしゃべりだ。

 同年代で押し出しが良く、

 世代ギャップなどの柵を感じなくていい別所の人柄に

 友恵はすっかり熱を上げてしまっている。

 数ヶ月前から通い詰めだ。

 

 それは別所も同じようで、

 近頃は友恵がくると翔子らを店から閉め出してしまうのだ。

 

 もちろん仕事はあるわけで、

 二人が睦言を交わしている分だけ遅くなっていくのだ。

 接客は話の合間にも出来るだろうが、

 注文に応じた発注やレンズ加工に手が回るはずもなく。

 たまりにたまった仕事が後々の負担になっていくのだった。

「残った仕事はやっておくから気にせず定時に帰ればいい」

 別所はそう言うが、

 その作業量の辛さを知っているだけに安易に頷けるわけない。

 ――本当に放っておいたら、別所は夜中まで店に缶詰めになってしまうのだ。

 

 仕事だと割り切ってしまえばそれもありなのだろうが。

 チェーン店のパートタイマーじゃあるまいし、

 月俸者の身の上で定時退社を主張するなんて

 図々しいまねが出来るほど世間擦れはしていない。

 

 なので、翔子も菜那も自ら残業を申し出ているのだった。
 だが、やっぱり納得できなくて不満が出てきてしまうのは否めない。

 でも、そんな時に思い出す言葉があった。

 

 〝嫌な時こそ善は急げ〟

 

 翔子の母親の言葉だ。

 人は誰かを笑顔にすることで本当に幸せになれるという意味らしい。

 

 確かにその通りだ。
 そう思った翔子は携帯電話を取り出して短いメールをうった。

 一番笑顔にしたい人物はすぐに浮かんだのだ。

 

「おっ! 旦那さんへ恋文メールですか?」

 

「そんなんじゃないわよ」

 

 肩でぐりぐりと鬱陶しい攻撃をしてくる菜那を去なして

 メールを送信した翔子は昼食に取りかかった。

 

 続き

 ↓

幸せな家族 -09- - NIWAKAな綴り士