ライターと易者
僕はライターだ。
仕事を辞めてからはインターネットで活動をしている。書くのは主にブログやサイトの記事代行。時にはアダルトサイトでAVや通販会社のサクラレビューもやっている。
ここ最近でやっとこさなんとか食うには困らなくなったが、とにもかくにも書き続けなければならない。在宅業でも暇なんてない仕事柄である。
でも苦ではない。全然苦ではない。本当に苦ではない。むしろ楽しい。楽しくて仕方がない。キーボードに指を添えている時が至福の一時だ。
ああ、ライター業は僕の天職だ。
そんな僕に女性が入り込めるすきがあるわけなく、二十代後半に大きく過ぎて三十路が見えてきた。そんなことはどうでもいい。書いてるときが最高なのだから。
まあ、でも僕は引きこもりではない。外に出ないというのではない。
近くのファミレスで食事もするし、行政や税務署に足を運ぶこともある。
取り分け足繁くかよっているのが駅前センター街の易者のところだった。弁当屋や靴屋が軒を連ねる隙間にひょろりと棒立ちしている細い雑居ビルの前に、こんな行燈(あんどん)が粛々しく置いてある。
『 2F 占い 鑑定料1000円 』
1階の不動産屋を無視して外階段を上がればホワイトボードみたいな味も素っ気もない白ドアがあり、そこには『易者』とだけ刻印されたプレートが掛かっている。
ドアノブを捻って中に入れば普通の人ならばきっと目眩を起こすことだろう。
まるで世界中の色という色を蒐集(しゅうしゅう)してきたような風情で視覚に大量の情報を叩き込まれるのだ。四方の壁を風水、カラバ、陰陽道、神道、悪魔崇拝からそれこそ花占いまでありそうなほどオカルトグッズで溢れかえらせた部屋の中央には御神木を輪切りしたのではないかと思える広いテーブルが据え置かれている。
テーブルを隔てて対座する豪奢な肘掛椅子の奥の方で口ひげをいじくっていた店主は目だけをこちらに向けた。カッターシャツまで黒にしたスーツ姿のその人は、顔の彫りが深いのに醤油顔という奇妙な風貌をしており、いわくすべての民族を先祖にしているらしく、「これ以上ない人間種の雑種だ」と言っていた。
「こんにちは」
「はい、こんにちは」
互いに会釈を済ませ、僕は椅子に腰を下ろした。
店主は髭を弄くっていた手で顎をなでる。
「用向きはなんだい、占い?」
占いの店に来て他に用があるのか? という話だが、はたして僕は他の用で来たのだった。
「なんか入荷してないかなぁと思って」
「う~ん、そうだなぁ――」
言いながら店主は横のキャビネットに近寄る――椅子に座ったまま……。
僕は彼が椅子から立ち上がっているのを見たことがない。きっと座面に尻が生態的に癒着してしまっているのだと思う。
僕が彼と会ったのは会社を辞めた当初のことで、一体占いとはどんな物なのだろうという興味本位からの欲求を満たしたいがためなのを、今後の身の振り方を占ってほしいと口八丁(くちはっちょう)したのだった。
しかし、彼は占いなんてろくすっぽせずにPC用の変なキーボードを僕に売りつけたのだった。それは明らかにタイプライターで、給紙口のところに『ROYAL』と刻印までされている本体の後ろからUSBのコードが伸びているのだ。売値は五千円だった。
僕はいらないと断った。
すると、こんな話が始まった。
なんでもタイプライター全盛期の時代に執筆を始めた作家がワープロやパソコンが幅を利かせてきた改変期に、現在のキーボードの打ち心地が気に入らなかったらしく、知り合いの技術者に頼んでパソコンのキーボードとして使えるようにしてもらったのだそうだ。
そして、その作家はどういうわけか突然死した。最後の作品を書き上げた瞬間に事切れたようで、発見されたときには両手をタイプライターに添えた状態で死後硬直していたらしい。
「自分の天分をねじ曲げられたことに怒ったんでしょうねぇ、こいつは」
易者はそう言ってタイプライターをなでた。
その話を聞くうち、どうしてか僕は無性にそれが欲しくなっていた。
譲って欲しいと手の平を返す僕に、店主は値段を一万円に吊り上げた。それでもかまわなかった。気付いた時には代金を支払っていた。郵送にするかと質問されたが、僕は10キロ以上もあるタイプライターを持って帰ったのだった。
うちに帰って接続するなり僕はとにかくキーをタッチした。最初は五十音など取り留めのないことを書いていたが、ふと思いつきメモ帳を開いて自分のこれまでの人生を書いていった。
それは何だか誰かに自己紹介をしているような気分だった。伝える方法は口で言うのでもアルバムを見せるのでもない。書き綴ることこそ意思表明の手段だと確信があった。
円盤型のキーに指が吸いつけられるような感覚があった。
「もっと教えて。君のことをもっともっと」
そうせがまれているようだった。
こんなこともあった。そう言えばあれはひょっとしてこうだったのかも知れない。
過去を振り返りながら今の自分で内省していくのは、新しい自分を発見していくということだ。そしてそれをその誰かに伝えていくのは、どうしようもない快感があった。何度も何度も全身に甘い痺れが駆け抜けていった。
僕が自分の人生を伝え終わったのは三日後だった。書き終わると言うよりは意識が元に戻るとか、我に返ると言った部類の覚醒感と一緒に限界を超えた空腹と喉の渇き、倦怠感に襲われた。だが、途方もない充実感に満たされていた。
なるほど。
話にあったその作家は、だから死んだのだ。
裏を取ろうとネットで検索して納得する。
かの作家の最後の作品はなんと全十巻にものぼる大作だった。
彼はこのタイプライターに本当に惚れ込んでしまったのだ。いや、魅入られたと言った方が正しいかも知れない。
僕はこのタイプライターで物語は書くまいと誓い、ライター業を選んだのだった。どんな物でも、入れ込むのは危険である。
それから、この店にはちょくちょくかよっては店主から色んな物を譲ってもらっている。
それらは全てが魅力的で僕を心を充実させてくれる。
「これなんかどうかな?」
店主はそう言うと、何かをキャビネットから取り出してテーブルの上に置いた。
続く → http://niwaka151.hatenablog.com/entry/2016/02/08/013127