NIWAKAな綴り士

危険なモノ 奇妙なモノ そういったことに共感し思いついたことを綴ります

ACT Ⅱ   始まり ―08―

 自宅が目に入った途端、

 焦りが足にきた希一の歩幅は大きくなった。

 

 それは荘輔もいっしょのようで、

 周囲よりもマンションを眺めることに注意が傾いている。

 

 残り三つの十字路を越えれば安全地帯に逃げ込める。

 

 そう気が緩んだとき、希一の耳が物音を拾った。

 

 またぞろ空耳かと思ったが、荘輔も歩みを止める。

 

 音が聞こえた右側に目をやると、

 横道に入ったすぐそこで数人が四つん這いになっていた。

 

 こちらに尻を向けている一団は、

 ごそごそと膝先の何かに手や顔を突っ込んでいる。

 連中は手元で何かを引き千切るような挙動をしては、

 口を開けたままガムを噛んでいるような音をきかせてきた。

 

 時々「コリッ」という軟骨だろうものを噛み砕く音もする。

 

 一団の隙間からは、

 黄色い長袖をまとった腕がぐったりと投げ出されていた

 ――彼らが干渉するとされるがままといったように手の甲で床をなでている。

 

 希一は無意識に口を抑えた。

 舌全体が一瞬で酸っぱくなり、

 出そうになったゲップを無理矢理飲み込んだ。

 ――今、胃に溜まったガスを抜けば一緒に胃液も飛び出して来る確信があった。

 

 すっと荘輔が唇に人差し指を当てると、

 その指で空をさした。

 

 引かれるように見上げた空は夕暮れを兆し始めていて、

 静かにいわし雲を泳がせている。

 

 いつの間にかあれだけ飛交っていたヘリコプターの姿がない。

 耳を澄ますと、小さくなったプロペラ音がどこかで鳴っているだけだ。

 

 服の擦れる音が聞こえるほど辺りは静かになっていた。

 

 ここからはもっと慎重に行こう。

 

 荘輔は真剣な眼差しでそう告げている。

 

 希一は口の中の唾を全部集めて飲み下してから顎を引いた。

 

 足音をゆっくりと踏み殺して、

 焦れったい歩みで前進する。

 

 右の一団がこちらに気付いていないことを終始確認する。

 

 それと共に別の危険が忍び寄ってやしないかと希一はくまなく目を配った。

 

 たったの十メートルに分単位の時間を掛けて進む。

 右耳で聞いていた嫌な音が次第次第に背中越しになる。

 

 前を行く荘輔が残り二つとなった十字路の一つ目に差し掛かった。

 

 希一が足元の死体を跨がないよう避けていると、

 にわかにプロペラ音が近づいてきた。

 

 瞬く間に空気をぶつ切りにする連続音が頭の上まで移動してくる。

 

 助かった、これで自分達の足音が聞こえにくくなる。

 これなら急いでも問題ない。

 

 希一は幾分かほっとしたが、

 荘輔の肩が強張っているのを見て首を傾げた。

 なぜか真上を向いて動かなくなっているのだ。

 

 どうした?

 

 回り込んでそう訊こうとした希一は、

 荘輔が感じ取った異常にやっと気が付いた。

 

 前方から来るプロペラ音が大き過ぎる。

 際限無く近づいて来て、

 下っ腹を振るわせるほどの大音量が地面からも跳ね上がってくる。

 

 まさかと思って見上げた瞬間、

 ヘリコプターの操縦席が目に飛び込んできた。

 

 操縦桿を握っているサングラスをかけた男の腕に、

 後部座席から身を乗り出したやつが噛みついていた。

 

 中で争ってる……。

 

 地面に顔を向けるというあり得ない飛行姿勢のヘリは、

 住宅街のすれすれを滑翔して後方へと飛び去っていく。

 

 あまりに瞬間的だったので、写真のように記憶された残映に、

 サングラスの男の帽子に『POLICE』と刺繍されているのが見えた。

 

 希一はヘリを目で追った。

 やはり警察航空隊の機体だ。

 

 視界の端で荘輔も目を引っ張られるようにして首を巡らせている。

 

 自分達は二人とも同じ危険を予感しているのだ。

 その予感はすぐに現実の物となって展開された。

 

 本通りの真上の空を滑っていったヘリは、

 推進力を失ったボールみたく高度を下げていく。

 

 危うくプロペラが電線を切るところを、

 ヘリは通りの先でT字路を作っている連なった戸建ての三階部分に突っ込んだ。

 

 続く…… → http://niwaka151.hatenablog.com/entry/2016/01/15/164110