NIWAKAな綴り士

危険なモノ 奇妙なモノ そういったことに共感し思いついたことを綴ります

ACT Ⅲ   天竺鼠:ギニーピッグ ―03―

 希一達は豊富にある食料にほとんど口を付けなかった。

 というよりは喉を通らなかった。

 

 世界の終わりを見たあの日、

 荘輔がドアフォンの音量をゼロにしてインターフォンを鳴らなくしたものの

 相変わらずノックだけは続いた。

 籠城を始めて三日三晩その音に悩まされ続けたのだ。

 

 侵入されるのではないかと気が気じゃなくなり、

 あらゆる神経と共に食物中枢までも磨り減らされていった。

 

 荘輔は外開きの玄関ドアのノブを

 ロープとワイヤーを使って二重結びとかいう方法で縛り、

 その片方をトイレまで引っ張っていって便器に結わえ付けて固定した。

 ――結び方は『アメリカ陸軍のサバイバル全書』に

   載っていたとかぶつぶつと独り言を呟いていたと思う。

 

 三日後にノックがしなくなり、

 恐る恐るドアフォンのモニターを点けた荘輔によると、

 ドアの向こうにはシカバネになった川口がいるだけで

 他はいなくなっているということだった。

 

 そして、彼女がそこにいるのは

 ドアに指を挟まれているからだろうと付け加えた。

 ――ちなみに、『シカバネ』とは

   人に噛みつくようになった人間のことを荘輔がそう呼び始めたのだ。

   その特異な行動を把握しても、

   ありふれた『Z』を頭文字にした単語は使いたくなかったのだろう。

 

zombie-silhouett.jpg

 

 何となくだがその気持ちは分かる。

 

 部屋のすぐ外にシカバネがいる状況で普通に眠れるわけもなく、

 二人は交代で睡眠を取って一人は必ず非常時に備えて見張ることは

 おのずからのルールとなった。

 

 だからと言って安心して眠れるはずがない。

 希一達の睡眠時間は分単位にまで短くなっている。

 

 二人ともこの二ヶ月で体重が五キロは減った。

 どちらかと言えば大食漢だった希一はともかくとして、

 荘輔の痩せ方はほとんど衰弱と言えた。

 頬はべっこりと凹んでしまい、うっすら眼孔の形に目許が窪んでいる。

 後ろで髪を一本に縛って露出させた額も心なしか角張ってしまった。

 

 希一よりもストレス度合いが大きかったのか、

 荘輔は食べても時々吐いてしまっているようだった。

 心配させまいとしてだろう、

 荘輔には食べ終わったら自室に引っ込んでしまう習慣が付いている。

 以前なら時々夢に魘(うな)されていたのだが、

 こうなってからは一度も魘されなくなっていた。

 ――悪夢よりも恐ろしいモノが現実にあるのだから当然だろう。

 

 その他にも数日前からは妙に神経質になっていて、

 寝ているときは部屋のドアを勝手に開けないで欲しいとか、

 

 夜に寝たいので夜間の見張りはしたくないだとか言い出した。

 

 なにぶん荘輔のおかげで生きながらえた希一としては、

 そのくらいのわがままは聞き入れざるを得なかった。

 

 それでも、一日一度は様子を見に行く。

 精神症がこじれている可能性は大いにあるのだ。

 今の荘輔はめったことを考えかねない。

 

 ノックをしてから荘輔の部屋に入ると、

 元の匂いと吐瀉物の残り香が混ざった異様な臭気に鼻を突かれた。

 匂いの中に鉄臭さもある。

 ベランダの大きなサッシ戸でも外の臭いを遮断できないのだろう。

 

 外の臭いも酷いが、この部屋にこもった空気よりはまだマシだ。

 昼間は開けられない窓を透かして換気をしていた希一は、

 ベランダのサッシ戸を開けようとしていると荘輔に止められた。

 

「開けないでくれよ」

 

「だけど、この部屋ちょっと空気が澱んでるぞ」

 

「いいから、開けないでくれ」

 

 二人の会話は蚊に割って入られそうなくらい声を落としていた。

 シカバネの活動動機の一つが音であると知ってからは吐息すら憚る生活だ。

 

「寝てないんだろ、大丈夫か?」

 

「……うん」

 ロフトベッドの上で布団にくるまったまま荘輔が顔をのぞかせる。

「ウォーターバックが一個が空になってた。水を足しといてくれない?」

 

「ああ、分かった。少しでも寝とけよ。ちゃんと見張ってるから」

 

 荘輔は幽かに頷いてから

 画用紙のみたいにすっかり白くなった顔をすっぽりと毛布で覆い隠した。

 

 部屋を出て引き戸を閉めた希一は居間を見廻す。

 確かに空のウォーターバッグが転がっていた。

 拾って流し台の蛇口から水を汲み、

 満タンになったウォーターバッグを冷蔵室の隙間に押し込んだ。

 

 続く → http://niwaka151.hatenablog.com/entry/2016/02/27/211702