NIWAKAな綴り士

危険なモノ 奇妙なモノ そういったことに共感し思いついたことを綴ります

ACT Ⅱ   始まり ―10―

 害意、殺意、もしかしたら食欲。

 

 とにかく邪念に満ち満ちた醜貌と

 唸り声に囲まれたほんの十数メートルは

 はてしなく感じられた。

 

 生涯で初めて出会った

 本物の意味をもった敵をかいくぐり

 マンションの入り口に飛び込むと、段を飛ばしで階段を駆け上がる。

 

 二階に見えた203号室の前に、

 隣に住んでいる川口だったかいう名前の女性が立っていた。

 

 彼女の部屋のドアは開け放たれていて、

 奥から悽惨(せいさん)な物音が響いてくる。

 

 川口が振り返ると、

 希一はすぐに彼女が元川口になっていることに気が付いた

 ――口の周りを赤くしていたのだ。

 

 自宅に帰ってきた希一達に

 元川口が唸りながらかかってくる。

 

 間合いが近すぎてバットを横薙ぎに振れなかった荘輔は

 バット盾代わりにして元川口をドア脇の壁に押さえ付けた。

 

「兄貴、鍵開けて!」

 

 荘輔は彼女が首に噛み付いてこようとする危ういところを避け続けている。

 

 希一は震えからどうしても小刻みなる顎を引きながら鍵を取り出した。

 

 鍵穴に差し込もうとするが、

 地震が起こったように手が震えて鍵先が定まらない。

 

「早く!!」

 

「ちょ、ちょ、ちょっと待て!」

 

「外からも来てるんだ!」

 

 言われて振り返ってしまった希一は膝の力が抜けた。

 階段の段差の向こう、

 螺旋階段の折り返しに血生臭い顔がいくつもあり、

 頭を揺らしながら階段を上がってきている。

 

 気が付けばマンション内は不穏な唸り声でどよめいていた。

 

 希一は震える左手で震える右手を抑えながらドアノブに縋りついた。

 

 鍵穴に鍵先をガシガシと押しつける。

 いつしか鍵先が穴に引っ掛かり、差し込むと同時に捻ってロックを外した。

 

「開いた! 開いたぞ!」

 

 ドアを大きく開けると荘輔は元川口だった者を階段方へ押しやり、

 バットを渾身の力で投げつけた。

 

 階段から上がってきた闖入者達は

 手を伸ばせば届く距離まで迫ってきていた。

 

 前列の何人かが元川口とバットをぶつけられてよろめく。

 

 しかし、連中はそんなこと歯牙にも掛けなかった。

 圧倒的な量の後続者達は、

 よろめいた前列もろとも元川口を押しやってしまう。

 

 そんなおまじない程度の進行妨害効果コンマ数秒の間に、

 希一は荘輔に押されて自室に転がり込んだ。

 

 ドロドロの火砕流みたく壁と床を舐めるように進行してくる唸り声の群。

 

 ドア支えのアームが閉る速度を焦れったくしているうちにも

 連中はどんどん迫ってくる。

 

 もうあと半歩分のところで後続集団に押されて来た元川口の指がドアに絡みついた。

 

 荘輔はドアノブを引っ掴むと、全体重を掛けてドアを閉める。

 

 ドアが閉じられる同時に、

 「グチッ!」とも、「ポキッ!」とも形容し難い音が鳴った。

 強いて言えば湿気った木の枝がへし折れるのに似た小さな音だ。

 

 嫌に生々しい破壊音が耳にこびり付いて離れなくなる。

 

 荘輔がサムターンを回して施錠していると

 外側から激しくドアを叩かれた。

 ――いや、叩いているのではなく、大勢で体当たりしているのだ。

 

 ドアノブを回して開けようとするでもなく、

 希一達を襲う意外は考えなしにぶつかってきているらしい。

 

 その証拠にドア脇に設置されているインターフォンが

 分別もなく何度も打ち鳴らされる。

 

 絶対に歓迎できない客人の来訪を告げるインターフォン。

 そして居留守を使ったところで帰る気配など全く窺えない一方的なノック。

 

 この異様な状況に面食らったのか、

 荘輔はドアに目を釘付けにして呆然と立ち尽くしている。

 

 ドアの鍵を見てはっと気付いた希一は跳びつくようにしてチェーンロックを掛けた。

 

「あ、ごめん」

 

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「忘れてた」

 

 荘輔が思い出したように言った。

 

 続く → http://niwaka151.hatenablog.com/entry/2016/01/23/105908