NIWAKAな綴り士

危険なモノ 奇妙なモノ そういったことに共感し思いついたことを綴ります

幸せな家族 -10-

 翔子の勤めている眼鏡店〝Specchio di True〟スペッキオ・デ・トゥルー。

 丁寧にもイタリア語の大字を掲げた看板には『真実の鏡』と翻訳までふってあるその店は小さかった。


 沿線の通りにあり、駅まで五分もいらない。繁華街とは反対側という立地条件を差し引いても二等地と言えるだろう。
 しかし、その店構えはあまりにも小さかった。

 例えるなら、本棚に整然と収められた百科事典の書列に差し込まれた文庫本といった風情だ。


 チェーン店のようにガラス張りのショウウィンドウを設えるような洒落た趣向はなく、板チョコ型で木造りの一枚ドアが玄関。深緑色に塗られたドアの横には背の高い出窓。格子ガラス越しにのぞいた窓辺には清潔そうな白いクロスが敷いてあり、新作の眼鏡フレームがいくつか並んでいた。調度品みたくキラキラと光を反射させたサンプルレンズは、その双眸で見下ろす人を見上げている。


 見た目に一見さんお断りの店構えだ。

 

 好奇心か、冒険心か、ひやかしか、はたまた子供じみた罰ゲームか、あるいは店に取り入ろうとする金銭目当てのセールスマン等の輩みたいなある種の覚悟を持てばノブを回すことができるだろう。

 

 そして、店内の狭さに圧倒されることは間違いない。

 

 なぜなら、内装のほとんどは作業スペースなのだ。客のための接客スペースは大股で十歩も歩けば余裕で往復できる。シックと言えば聞こえは良いが、悪く言えば単調な造りだった。壁は白で床は黒。白い壁には額縁を模したショーケースが五つ掛けられていて、それぞれに五点ずつフレームのサンプルが収められてスポットライトで照らされている。サービスカウンターの滑らかに木目を磨き出された焦げ茶色とあいまって絵画か写真の個展といった雰囲気である。

 

 かててくわえて、そのショーケースの奥には――。

 

「穂坂さん、お客さんお願いね」

 

 脈絡なく奥の席にいる別所(べっしょ)から接客を言い付けられた。翔子は少々驚きながらも手元のレンズを慎重に研磨機から離した。

 来客を知らせるドアベルの音はしていない。そのことを訊ねようと口を開きかけた時――。

 

 カラン、チリンとベルが鳴り響いた。

 

「お願いね」

 念を押す調子で言う別所が好好爺な笑みを向けてくる。
 白髪交じりの蓬髪。四角い福々しい顔に、これこそ眼鏡と言い切ったような分厚い黒縁眼鏡をしている――眼鏡は老眼レンズ越しの別所の輪郭をさらに幅ったくしていた。スーツのチョッキを窮屈そうに張らせた腹を作業机に押しつけていた。

 

 翔子は反射的に隣の菜那を見やった。接客は基本、日の浅い菜那に割り当ててあるのだ――が。
 その様子を見て納得いった。菜那が手元を隠すようにしながら難しい表情を浮かべている。またぞろ、レンズの固定に使うナイロン糸でも絡ませたようだ。

 

 加工途中のレンズを簡易保護ケースに入れて、ファイルラックの『加工中』とラベルされた引き出しにしまう。椅子を引いて、真後ろ壁に掛けてあるスーツの上着とエプロンとを着替えた。作業ブースからカウンター出る手前に据えてある鏡合わせの姿見で、失礼の部分がないかを確認する。


 よし。袖から出た翔子は客であろう後ろ姿を見付け、作業員から接客スタッフへと気持ちを切り替える一声を発した。

 

「いらっしゃいませ」

 

続き

 

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