幸せな家族 -03-
部屋の暗さから愛の歩幅は自然と小さくなった。
足場を心配するように歩を進めるうち、
くりくりとした黒目の大きな目は暗闇に慣れていく。
部屋の真ん中で、布団がこんもりと小山を作っているのが見えた。
鼾とともにゆっくりと上下している布団の先で、
カーテンの隙間からもれる陽の光がうっすらと部屋を明るくしている。
簡素な部屋だった。
薄緑色のカーペットが敷かれている床の中央で
布団が山を作っている以外にあるものと言えば、
クローゼットの折り戸とカーテンの前に置かれた座卓しかない。
座卓の上では携帯電話が持ち主と同じく休息中で、
次の仕事のために赤色のチャージランプを点灯させていた。
愛は布団を避けて大きく回り込み、座卓の前に立った。
持っている絵を再び床に置いてぽんぽんと叩いたあと、
机によじ登り始めた。
大人にとって脛くらいの高さしかないその机も、
三歳の愛には十分に――危険なほどに――高い。
天板にお腹を押しつけて、足で押し上げるように少しずつ登っていく。
爪先で床を蹴ることができなくなった頃、
腰の辺りまで登ることができた。
片足を上げて天板に引っ掛け、座卓に寝転がるようにして登り切る。
「よぃしょ――」
掛け声をつけて立ち上がる。
机の上をそろそろと窓まで歩いて行き、
愛はカーテンの一方を掴んだ。そして野球の投手よろしく振りかぶる。
シャッという音と共に部屋の中が一気に明るくなった。
その拍子、盛り上がった布団がもぞりと動いた。
よし、次だ。
と言うように愛は自分の仕事に頷き、
もう一方のカーテンにも手を掛けた。
勢いをつけて振りかぶった時――。
「あ……」
携帯電話を蹴飛ばしてしまった。
充電ホルダーから外れた電話が、
机からこぼれて落ちて床の上でゴトリと音をたてる。
「あちゃちゃ~」
愛は頭を抱えて机を飛び降りた。
転がった電話をつまみ上げて机の上に置く。
ここまではできるが、
充電ホルダーにこれをどうしたらいいのかはまだ分からない。
さしあたりこれでよし、と言うように頷いて、
絵を持ち上げた愛は布団に駆け寄った。
「おとーさーん」
控え目な声で、
多分頭だろう盛り上がりに向かって呼び掛けるが返事はない。
絵を脇に置いた愛は布団を揺すってみた。
それでも鼾が聞こえるばかりだった。
愛は試しに布団を叩いてみた。
それでも鼾が一瞬途切れただけで、まともな返事は返ってこない。
どうして起きないんだろう?
小首を傾げる姿でそう言い。
愛は最後の手段にでた。お
もむろに掛け布団の中ほどをめくって布団に潜り込む。
たちまち愛は大好きな匂いに全身を包まれた。
お父さんの匂い。世界で一番好きな匂いがお母さんの匂いで、
世界で二番目に好きなのがこの匂いだった。
小さな身体がすっぽりと布団に収まると、
頭が柔らかいお腹に当たった。
「最近、出てきたね」と怒ったような、
それでいて楽しそうな声音をお母さんに投げ掛けられているお腹だ。
愛は暖かい布団の中を四つん這いで移動しだした。
段々と鼾が大きくなってくる。
たるんでくる布団を二度掻き分けると、鼾は急に盛大な音量になった。
顔がこちらを向いているのだ。
愛は鼾に向かい合って横になった。
真っ暗でなにも見えない。
鼾をたよりに、愛は両手を暗闇の中へ送り込んでいく。
腕が伸びきらないうちに、ぺたぺたと油っぽい物に手が触れた。
お父さんの顔だ。薬指と小指にはざらざらとした髭の感触がある。
途端、驚くように息を吸う音が聞こえた。
「ん――、愛ぁ?」
「おとうさん、マナえぇかいた」
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