六年生七不思議 -08-
「穂坂さんってわりとしゃべるんだね」
博太の声が耳に入った結愛は、唐突に白昼夢から覚めた。
「ごめん」結愛は手でそっと口を隠した。
目を伏せると、さっきの博太の顔が頭をよぎった。
こんな事をしてしまうから、みんなに避けられるんだ。
実際、結愛自身もおかしいと思っている。
物語の話をしていたら、その情景が視えてくるなんて――。
「なんで謝るの?」
顔を上げると、少し赤みがさした博太の顔があった。
「今の穂坂さん、スゲー楽しそうだった。
楽しければそれでいいじゃん。謝る必要なんかないよ」
直後に博太が足を止めた。
つられて立ち止まった結愛のすぐ前に、他の生徒の背中があった。
いつの間にかエレベーターに着いていたようだ。
給食棟のおばさんが全身白の作業着姿で、
牛乳やおかずの入った鍋を手渡している。
ほんの少しだが時間を忘れていたらしい。
博太の言った通り、結愛は楽しかった。こんなのは久し振りだった。
博太がおばさんに学年とクラスを伝える。
瓶牛乳が20本差し込まれた4×6=24(しろくにじゅうし)に
目切りされたカゴを受け取った。
さりげなく四本分のマス目が空いた軽い方の取手を結愛に向けてくる。
「あ、一樹君そんなの悪いよ――」
「いいから、いいから」
気さくに押し切られ、結局今日も博太のペースに乗せられて取手をつかんだ。
「……いつも、ありがとう」その言葉は口から出ず。舌の上だけで転がった。
しかし、博太が結愛に軽い方を持たせるのは、割と現実的な理由もあるのだろう。
「せーの」博太のかけ声でカゴが持ち上がる。
引き手になった博太の後を、結愛がついて行き教室に戻り始めた。
途端に結愛の足取りはおぼつかなくなる。
カゴの中で瓶が揺れ動き、カチャカチャと鳴った。
うっかりしてると、すぐ横を行き交う子達にぶつかってしまいそうで、
なんとも危なっかしい。
軽快に歩く博太の後ろで、結愛は気が気じゃなかった。
カゴを落としてしまったらどうしよう。
幸いな事に、これまでそれはなかった。でも、今日がその日かもしれない。
そんな考えが、ちらりと頭をよぎり、結愛は背筋が寒くなった。
それゆえ、周りを見る余裕がなくなり、ついつい手元に目を落としてしまうのだ。
さしあたり、いつものように付かず離れずの距離感を保って、
用心深く歩を進めようと思った。その時――。
うなじに凍えた手を押しつけられたような寒気を感じた。
カゴが揺れ、危なく取手を掴んだ手が滑りそうになった。
「ねえ、穂坂さん。今年は『六年生七不思議』ってあると思う?」
ふいに博太は後ろ歩きになり、なんの気なしと持つ手を変えていた。
どうやら、そのせいでカゴのバランスがぶれたらしい。
「私、それよく知らない」
手元と足元に全神経を集中させている結愛は早口で答えた。
落とさなくて良かったと、ほっと胸をなで下ろす。
「え、うそ? もうみんな知ってると思ってた」
やおら、引き手の速度が弱まり、ついには立ち止まる。
博太は悪戯小僧がやるように、「にっ」と口角を張って笑窪(えくぼ)を作った。
「じゃあ、説明しよう」
芝居染みた口調で言い、カゴを廊下に下ろした博太は話し始めた。
「日本全国に数多の七不思議があるけど、実はうちの学校にもあるんだ七不思議。
でも他の学校とは少し違ってて、怪奇に遭遇するのは六年生だけ。
で、その怪奇っていうのが。
『前庭の水面の映る幽霊』
『音楽室前の十三階段』
『多目的室四隅の怪』
『急に性格の変わる生徒』
『プールの水死体』
『ドッペルゲンガー』
『放課後の忘れ物』
この七つ。
噂だと、去年の六年生は何かあったらしくてさ。
今、クラスの話題が七不思議一色なんだ」
一呼吸置いた博太が「どう?」と水を向けてきたが、
期待に満ちた目で見つめられても、結愛は「う~ん」と唸るのが精一杯だった。
そもそも、結愛は怪談自体に疎(うと)いのだ。
読んできた本は『エルマーの冒険』や『グリム童話』『不思議の国のアリス』
『星の王子さま』『フランダースの犬』『クリスマス・キャロル』。
その他も宮沢賢治の童話集と言った具合で、子供向けの本ばかりだった。
怪談に近い描写はグリム童話にもあるが、それだって童話の範囲を出ないだろう。
図書室の怪談コーナーで立ち止まりすらしない結愛が「さあ、七不思議ですよ。面白そうでしょう?」と勧められたところで、
教室の後ろに貼ってある習字の熟語を見るくらいの興味も湧かず、
「わたし、怪談はあんまり読まないから……ちょっとピンとこない」
と、答えるしかない。
結愛はまた「ごめん」と言いそうになったが、先回りするように博太が言う。
「そっか、気にしないで、別に押しつける気はないから――あっ」
言葉を切った博太が周りを見回して「やべ」と短く声を上げた。
見ると、廊下には結愛達の他に生徒の姿はない。
大分話し込んでしまっていたようだ。
博太に急かされて再びカゴを持ち上げる。
廊下を数歩進んだところで、博太が顔だけで振り返った。
「でも、これで共通の話題ができたよね?
実はさ、マサと――いや、明松と二人で盛り上がってて、
七不思議を調べてるんだ――」
博太は唾を飲み込む。
「よかったら、穂坂さんも一緒にどう――かな?」
思い切ったように言い、博太はさっと顔を前に戻してしまった。
結愛は言葉の意味が咄嗟に分からなかった。
答えを求めて視線をさまよわせていると、博太の背中に目を引かれた。
さっきまでずっと足元ばかり見ていたで気がつかなかった。
博太の着ているTシャツの背中にポップな絵柄でキツネがプリントされていた。
〝おねがい……なつかせて!〟
頭の中でキツネの台詞が閃く。結愛は顔が熱くなった。
きっと耳まで真っ赤になってるに違いない。
流れ動く空気だけででも涼しく感じるのだから。
博太は一緒に遊ぼうと誘ってくれているのだ。
「うん、いいよ」
結愛の言葉は、しっかりとした声となって響いた。
ばっと博太がこちらを向いて立ち止まる。
口だけでぱくぱくと二つ、三つ言葉を形作った後、
ほっとしたように息をもらして、博太は柔らかく笑った。
優子と初めて会った時も、同じように心が暖かくなって揺れていた。
今は、全身にほんのり熱も感じている。
優子の手に包まれた頬に感じた温もりに似ていた。
結愛は知らないうちに、博太に笑い返していた。
続きます